こんにちは!Bar Compass編集部の河合です。
Bar Compassもとうとう新宿に進出!第7弾では以前から私がインスタグラムなどで激推ししていた大好きなバー、「BAR Cocktail Book Shinjuku」(バーカクテルブック新宿)さんに伺いました。
今回は、BAR Cocktail Book Shinjukuのオーナーバーテンダーである岡村 朗(おかむら あきら)さん(以下、岡村さん)にお話をお伺いしました。
バーテンダーを志したきっかけは、まさかの「忍者」や「織田裕二」!?
京王プラザホテルのバーでの経験
「適正ゼロ」からの独立
BAR Cocktail Book Shinjukuは入門編のバー?
岡村さんがカクテルコンペに挑戦し続ける理由
岡村さんからお聞きした楽しいお話を記事にまとめました。特に、バーにまだ行ったことがないけどバーに興味はある、という方にとてもおすすめです!
ロングインタビューとなりましたので、今回は前編、後編に分けてお送りをいたします。
前編では岡村さんが力を入れるジントニックの紹介とBAR Cocktail Book Shinjukuの由来、岡村さんがバーテンダーになるきっかけや京王プラザホテルのバーでの経験から独立に至るまでをまとめました。
前回の第6弾では銀座のバー、BAR AGROSさんを取り上げております。銀座のバーと新宿のバーの読み比べというのも面白いかと思いますのでぜひご覧ください。
岡村さんが力を入れるジントニック
BAR Cocktail Book Shinjukuでは、約50種のアレンジジントニックを作り上げた。
ビーフィーターやタンカレーといった定番のジンやサントリー六ジンや季の美をベースとし、リキュールやビターズと組み合わせたユニークなジントニックたちだ。
今回はサントリー六ジンをベースにした「大葉のジントニック」をご紹介したい。
大葉とサントリー六ジン、レモンジュース、シロップをグラスに注ぎ、ペストルで大葉をつぶすようにして全体を混ぜ合わせる。大葉を取り除いた後に氷を入れて1度目のステア、トニックウォーター、ソーダを入れて再度ステアを丁寧に行っていく。最後に大葉の葉を添えて完成だ。
飲んだ瞬間、大葉独特の香りが口の中に広がりすっきりとしたカクテルを求めている方にばっちりマッチする一杯に仕上がっている。大人のジントニックと言っても過言ではないだろう。
その他、黒豆茶のリキュールをアクセントに加えた「くろまめジントニック」など変わり種で楽しいジントニックがラインナップされている。
岡村さんが丹精込めて作ったジントニックシリーズ。ぜひBAR Cocktail Book Shinjukuで楽しんでいただきたい。
BAR Cocktail Book Shinjukuの
由来
まずはBAR Cocktail Book Shinjukuの由来を伺った。私も何度も足を運んでいるにもかかわらず店名の由来を聞いたことがなかった笑
「妻のお店とほぼ同じ名前なんです。」
実は、岡村さんの奥さんも東京・八王子でバーテンダーとして活躍をされている。BAR Cocktail Bookという名は、大先輩のバーテンダーがつけてくれた名前だという。
「妻がBAR Cocktail Bookのトレードマークにもなっているフクロウが好きなんですよ。そもそも妻が先に独立をしたので、その時にフクロウが好きだからってことで『バーフクロウ』って名前にしようとしたんです。素直にイケてない名前だなと思いました笑
その時に大先輩に相談をしたら、八王子ってスナックが多い街だし、『バーフクロウ』だとスナック臭がすると言われました。女性がひとりでオーセンティックなバーをやるなら、バーであることが分かりやすいほうがいい、カクテルブックってありそうでないよね?という話になりました。」
カクテルブック、シンプルかつカクテルが飲めるお店だと分かりやすい。岡村夫妻はいい名前だと思い、大先輩に屋号として使うことの許可を得て、まずは奥さんのお店をオープンする際に、「BAR Cocktail Book」と名付けた。
岡村さんが新宿にお店をオープンする際にも店名をどうしようか迷ったが、岡村さん自身もカクテルブックという名前が気に入っていたこともあり、新宿にオープンしたカクテルブックということで、店名を「BAR Cocktail Book Shinjuku」に決めたという。
とても意外なカクテルブック誕生秘話だった。(大先輩はこの後も登場する重要人物です!)
岡村さんがバーテンダーを志した
きっかけ
「忍者」→「体育の先生」→「織田裕二」→「バーテンダー」!?
「本気で忍者になりたかったんですよ。」
いきなり衝撃的なエピソードから始まった。千葉県出身の岡村さんは小学生の頃、日光江戸村に家族で旅行に行った際に見た忍者に憧れ、当時父親にも忍者になるためにはどうすればいいか尋ねたという。
「父親には真田広之とかが所属している『ジャパンアクションクラブ(現ジャパンアクションエンタープライズ)に入れ』と言われたので、その後どうすればいいか自分なりに考えてたどり着いたのが『バク転』だったんですよ笑」
バク転ができれば「ジャパンアクションクラブ」に入るきっかけになるのではないか、と考えた岡村さん。バク転ができるようになりたいというモチベーションのもと、中学3年時に体操部に入部した。入部後、体操の楽しさを発見し、高校でも引き続き体操を続けたが、岡村さんが通っていた高校は市立船橋高校などと同じブロックだったこともあり、「簡単に負けてしまう」状況だったという。
「機材も全然違う状況で負けてしまうのはまあ仕方ないなと思いました。そこで、通っていたのが日大の付属校だったので、このまま日大の体育学科に行って大学でも体操を習い、母校に戻ってきて体操部を強くしようと思ったんです。この時には忍者から体育の先生という目標に変わりました。」
しかし、高校3年時に岡村さんに転機が訪れる。
「父親から急に呼び出され、家庭の事情で奨学金で大学に行くか、高卒で働くかの二択を迫られることになりました。どうしようか迷いましたが、家計が厳しくなったこともあり、両親が喧嘩ばかりしていたんです。自分もそれを見るのが苦しかったですし、子供なりに『働いたほうがいい!』と思いました。」
しかし、これまで体育学科に行くための勉強しかしてこなかった岡村さん。「今さらやれることがあるのか…」と思っていたところ、担任の先生がポロリと助言をくれた。
「お前はホテルマン合いそうだな。」
さらに岡村さんは偶然当時フジテレビ系で放映されていた織田裕二主演のテレビドラマ「恋はあせらず」を観ていた。織田裕二演じる主人公がバーテンダーとして上京し成長していく内容で、その時にバーテンダーって「おもしろそうな仕事だな」と思ったという。
そこで岡村さんは担任の先生から助言を受けた通り、ホテルマンの採用を探してみた。当時、高卒採用を行っていたのは、京王プラザホテルとメトロポリタンホテルだったこともあり、とりあえず京王プラザホテルの就職案内冊子を見ると、そこにはバーテンダーの方が掲載されていた。
「これは織田裕二じゃないか!って思いましたよ笑」
行動力のあった岡村さんはこの就職案内冊子を握りしめて先輩と一緒に京王プラザホテルに行き、フロントで冊子に掲載されているバーテンダーの方に会いたいと急なお願いをしたという。まったくアポイントもない状態だったが、フロントの方が気を利かせて岡村さん憧れのバーテンダーの方が出社しているかどうかの確認をしてくれた。そして、バーテンダーの方が偶然にも出社しており、直接お会いすることができたのだ。まさかの高3で京王プラザホテルのメインバーデビュー!
「メインバーでそのバーテンダーの方とお話をしたんですが、『せっかくだから全部のバーまわっていきなよ』って言ってくださったので、当時京王プラザホテルにあったバーを全部見て回りました。それにノンアルコールカクテルを飲ませてくださりもしました。『内定をイメージしたカクテルを!』なんてふざけたこと言ったのも覚えてますね笑
最終的には『出世払いでいいよ』なんて言われて一円も払わずバーを出てきました。」
岡村さんにとってこれは衝撃的な体験だったという。「18歳の小僧相手に優しくお話をしてくれて、作ってくださったカクテルもおいしい」。これまでに味わったことのなかった高揚感が岡村さんをバーテンダーの道に惹き込んだのだ。
その後、京王プラザホテルから内定をもらうことができ、バーテンダーとしての一歩を踏み出した。
岡村さんは語ってくれた。
「奨学金で大学に行っていたらバーテンダーにはなっていませんでした。家庭の事情をきっかけに、担任の先生にホテルマンがいいんじゃないかと言われて、織田裕二のドラマを見て、京王プラザの就職案内冊子にバーテンダーが載っているのを見て、そのバーテンダーに会って話ができてすごくいい仕事だと思えた。偶然ですが、このすべてがつながったんです。
それに自分で行動したというのも大きかったです。行動した結果、ノンアルコールカクテルを飲んで接客を受けてめちゃくちゃ感動したというのが自分が天職と思っているバーテンダーになるきっかけになったので。でも入りは織田裕二です笑」
京王プラザホテルのバーでの経験
京王プラザホテルにはホテリエとしての採用であったため、入社後に必ずバーテンダーになれることが決まっていたわけではなかった。配属の希望を出すことはできたので、岡村さんは3つしか希望が出せないにもかかわらず、配属希望を書く用紙の裏面まで使ってすべて「バー希望」と書いたという。そして、見事就職案内冊子に掲載されていたバーテンダーの方のいるバーに配属となった。
しかし、当時を振り返ると、岡村さんは「とにかくつらかった」と語る。
「今ではそんな会社少なくなっていると思いますが、当時は先輩が全員帰るまで自分は帰れませんでした。僕が入社してから3年間後輩が入らず、ずっと下っ端だったのでなおさらきつかったです。毎日怒られてばかりだしこの仕事向いてないのかなと思う瞬間ばかりでした。」
でもご縁があって始めたバーテンダーを簡単に辞めたくはない。
「怖くて怖くて仕方のなかったマネージャー」にどう向き合えばよいか先輩に相談したところ、「必殺技を身につけろ」と言われたという。「トータルで先輩に勝つことなんて不可能。でも何か一個だったら勝てるだろ。なにかひとつを研ぎ澄ませ」と岡村さんはアドバイスを受けた。
岡村さんは当時下っ端の仕事であった掃除機がけや料理をお客様の席まで運ぶフードランナーといった仕事の中でも「グラス磨きはピカイチになろう」と考えた。グラス磨きを極め始めると、磨き上げのスピードが上がるので少し自分に余裕が出てくる。すると次はカクテルをたくさん覚えようと思い、グラスを磨きながらカクテルブックを読み始めたという。
「そうすると『あいつ作れないけどカクテルいっぱい知ってるぞ』っていう雰囲気が流れ始めるんですよね。先輩も少し自分のことを認めてくれたように思いました。これが自分にもちょっと自信がつき始めるきっかけになりましたね。」
このような修行の日々を送る中で、いよいよ岡村さん自身がカクテルを作るタイミングが訪れた。しかし、最初は「お前はまずいカクテルを作る天才だ」など先輩方から辛辣な言葉を浴びせられながらの練習が続いたという。
それでも岡村さんは今京王プラザホテル時代を振り返ると「よくも悪くもいい時代に下積みが出来た。」と思っている。
「少し伝え方が下手だったかもしれませんが、当時の先輩方はみんな全力でバーテンダーという職に向き合っているプロたちでした。」
こうしたつらい下積み時代を経て4年目。カクテルを飲まれるお客様が多いスカイバー「ポールスター」(現在はすでに閉業)に異動となった。
カクテルコンペへの挑戦も少しずつ行っていた岡村さんが国分株式会社が主催するジュニアカクテルコンペで優勝を果たしたのは、25歳の時だった。
岡村さんを悩ませた天狗期
「鼻がぴよーんと伸びていた時期があるんですよ笑」
カクテルコンペで優勝したことで、様々な雑誌に自らの記事が掲載されたり、周りから持ち上げられるようになった。
しかし、ここで不思議な現象が起きたという。毎年全国大会に出場はできるものの、優勝ができなくなった。入賞はして3位ばかり取るので、巨人軍の背番号3にちなんで「長嶋」というあだ名がつきました笑、と岡村さんは当時を振り返った。
「僕の妻に言われたんですよ。『あなたに足りないのは中身。人間力が足りないと思う。』って。それでも天狗の僕は『うるせぇ』って言ってよく喧嘩をしていました笑」
他にも奥さんには、
「あなたは京王プラザホテルでバーテンダーができていることにアドバンデージがることに気がついてる?いろいろなことに感謝が足りていない。」と言われたという。
京王プラザホテルのバーという日本チャンピオンをたくさん在籍していた恵まれた環境に身を置いていることをはじめ、周囲への感謝も人間力も足りていないことに気づくことができなかったのが天狗期だった、と岡村さんは語ってくれた。
しかし、その天狗期を抜けるきっかけがあった。
29歳の時、出場を予定していたカクテルコンペの2週間前に、新型インフルエンザに感染し入院をすることになった。
その時、「コンペに出場できるのも当たり前じゃない」ことに気づいた。コンペを運営してくださる人、応援をしてくださる人、そして協力してくれる仲間など様々な人のおかげでコンペに出場できるということに改めて気がついた岡村さん。また病院でゆっくり休むことができるのも、代わりにスタッフが働いてくれているおかげであることも実感した。
退院後にお店に戻ると、多くの方からの手紙が届いていた。その中にあった当時の店長からの短い文章が目に入った。
「初心、謙虚、自信。忘れずに持っていけ。」
この文章の肝は「自信が一番後ろ」だということ。
プロとしてやっている以上、必ず自信は必要。しかし、過度な自信は持ってはいけないことに気づいた。
当時の岡村さんはまさに練習の鬼。通常業務、事務業務をこなした後にコンペの練習を行い、疲労とストレスが蓄積された結果、倒れてしまい救急車で病院に運ばれたこともあるという。しかし、練習をすることで、技術は上がる。すると、自信もついてくる。この自信が大きすぎるのがまずかったのだとこの店長の文章を読んで気づいた、と語ってくれた。
今でも岡村さんはここに「感謝」を加え、「感謝、初心、謙虚、自信。」を自分の軸としている。
これが天狗の鼻が折れた瞬間だった。すると、退院後のコンペで見事優勝を果たすことができた。
この時優勝を掴み取って感じたのは「ありがとうございます。」の一言。
感謝の気持ちを取り戻した結果、審査員の方からも「すごくよかった」というような言葉をもらうという初めての体験をしたという。
この後もモエ ヘネシー ディアジオ、モナンの30歳以下の全国大会で連続優勝を果たす。ホテルバーメンズ協会(HBA)のシニアの大会にも出場し、惜しくも2位だったがここで岡村さんは京王プラザホテルを辞めることを決心したという。
「結果は2位でしたがやりきった感覚がとても強かったんです。それにホテルのバーテンダーは10年目にもなるとマネジメント側に回ります。そうすると、現場に立つことができないんですよね。僕は現場で働くのが楽しくてこれまでバーテンダーをやってきたのに、なんでこんなに事務仕事ばかりメインでやらなければならないんだろうと思いました。マネージャーだから当たり前ですよね笑」
根からのバーテンダー好きの岡村さんの次の挑戦が始まる。
「適正ゼロ」から始まった独立
「独立しても無理だからやめたほうがいい」
独立前に厳しい言葉をいただいてしまった。
大先輩のバーテンダーからの言葉。
「ホテルバーだったら活躍できるかもしれないけど、町のバーで独立して成功、というのは可能性ゼロだからやめたほうがいい。」
これを大先輩は岡村さんに直接ではなく、奥さんに伝えていたわけだが、それをそのまま奥さんが岡村さんに伝えたのだという笑
この言葉が岡村さんには響いた。当時、独立への恐怖と悔しさと何とも言えない感情が岡村さんを襲い、思わず部屋の隅で泣いてしまったという。
「ホテルで12年勤めあげ、コンペでもいちおう実績は出したつもりです。でも、当時50歳を超えていた大先輩のバーテンダーの方にいざそういうことを言われると、何か自分には足りない部分があるんだろうなと思いましたね。」
しかし、ここで岡村さんには「覚悟」が備わったという。「適正ゼロ」という言葉に一度はたじろいでしまったが、「バーテンダーを一生やりたい」という思いに変わりはなかった。
ここまできたらやり切るしかない。奥さんの「あなたがその覚悟なら私も応援したい」という言葉も後押しとなった。
場所は新宿しか考えていなかった。やはり京王プラザホテル時代から慣れた土地であることかつホテル時代のお客様が少しは来てくれるかな、という淡い期待があったという。しかし、ホテルのお客様はあくまで「京王プラザホテルのバーにいる岡村 朗に魅力を感じていただけで、岡村 朗のカクテルブックには魅力を感じない」場合が多い。これがホテルの看板なしに経営していくことの難しさであることも語ってくれた。
独立して1年目は365日無休で営業を行った。しかし、時にはお客様がひとりもいらっしゃらないこともあった。
「ほんと涙出ますよ。願掛けで丸氷7個作ったらドラゴンボールみたいに願いが叶ってお客様がいらっしゃるんじゃないかなと思い、無心で作ったけど誰も来ないってこともありました笑
でも大先輩のバーテンダーは『大袈裟かもしれないけどこれだけ飲食店がある状況で、あるひとつの飲食店を目がけて来てくれるなんて奇跡なんだ。だからそれを忘れるな』って言っていたんです。ほんとにそうだなと僕も思いました。なので0人だった次の日、1人でもお客様がいらっしゃってくださった時は本当にうれしかったですし、全力でそのお客様に向き合いました。」
「感謝、初心、謙虚、自信。」
岡村さんはどんな時でもこの言葉を忘れなかった。
そして、大先輩のバーテンダーが開店から1年後に岡村さんのお店に訪れた際、一言。
「お店出してよかったね。」
「この時はめちゃくちゃしびれましたね!でも大先輩は自分が適正ゼロって言ったことを忘れているようなことを言っていました笑 いずれにせよこの言葉が自分に強い『覚悟』を持たせてくれたのは間違いないので、大先輩には感謝しています。」
前編のまとめ
「忍者」になりたかった岡村さんが巡り巡ってバーテンダーという天職に出会うまでの物語。その後の京王プラザホテルのバーでの経験も含め、時には冗談を交えながら楽しくお話をしてくださる岡村さんがとても印象的でした。
また岡村さんにとって、同じくバーテンダーとして活躍されている奥さんの存在がとても大きいことも取材を通して感じました。後編にも奥さんの深いお言葉が登場します笑
後編では岡村さんがBAR Cocktail Book Shinjukuで築き上げてきたものや興味はあるけどまだバーに行けていない人たちへの岡村さんからのメッセージ、岡村さんの今後の目標などをまとめる予定です。
前編に引き続きぜひ後編も楽しみにしていただければと思います!
(記事 河合 佳祐)
〇BAR Cocktail Book Shinjuku
詳細情報
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土曜日
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